認知行動療法とSMARTの法則/質問法 ポジティブ認知行動療法
認知行動療法(CBT)におけるSMART目標設定の重要性:WCCBTガイドラインに基づく実践的解説
コンテンツ一覧
1. はじめに:治療成果を高めるための羅針盤
世界認知行動療法連合(World Confederation of Cognitive and Behavioural Therapies: WCCBT)が公表した「認知行動療法トレーニングガイドライン」を紹介致します。
このモデルは,世界中のメンタルヘルスとウェルビーイングを促進するというその使命に基づき、エビデンスに基づくCBT実践者の知識とコンピテンシー(能力)に関するグローバルな基準を示す画期的な文書です。このガイドラインは、国や文化を超えて、質の高いCBTを提供するための共通理解を形成することを目的としています。
一般社団法人ポジティブ心理カウンセラー協会では,ポジティブ心理学と認知行動療法などを活用した前向きなアプローチを採用しています。
そこで,共通しているのがSMARTの法則・質問法です。
ケアにおいて明確な目標を設定することは、クライエントと実践者の双方にとって、航海における羅針盤のように不可欠な役割を果たします。特に、協働的に設定され、かつ測定可能な目標は、治療の方向性を明確にし、クライエントのモチベーションを維持し、そして介入の成果を客観的に評価するための中心的な基盤となります。曖昧な願望や漠然とした不安を、具体的な変化へと導くプロセスそのものが、CBTの治療的価値の核心にあると言えるでしょう。
本稿の目的は、WCCBTガイドラインがCBT実践者に求める中核的能力の一つとして挙げられている「SMART」の法則を深掘りし、その各要素が持つ臨床的意義を実践的に解説することにあります。このフレームワークを理解することは、より効果的で、クライエント中心の治療計画を立案するための鍵となります。まずは、SMART目標設定が位置づけられるCBTの基本理念とその国際基準から見ていきましょう。
2. SMART目標設定の基盤:認知行動療法(CBT)とその国際基準
SMARTという具体的な技法を理解するためには、まずそれがどのような治療的枠組みの中で位置づけられているかを知ることが重要です。ここでは、認知行動療法(CBT)の基本的な考え方と、その国際的な基準を定めるWCCBTの役割を解説します。
CBTの定義
WCCBTは、そのガイドラインの中で、認知行動療法(CBT)を「人間の経験に基づく、認知的、行動的、文脈的な理論やモデルを用いた、実証的な治療アプローチの集合体」と定義しています。この定義には、CBTの本質を捉える以下の重要な要素が含まれています。
- 理論的背景: CBTは単一の理論ではなく、認知的、行動的、文脈的な理論やモデルに基づく、科学的エビデンスに裏打ちされた治療アプローチの集合体です。これは、CBTが画一的な手法ではなく、クライエントの多様な問題に対応できる、豊かで柔軟なツールキットであることを意味します。
- 基本姿勢: クライエントを専門家とみなし、セラピストと対等な立場で問題の仮説を立て、それを共に検証していく協同的実証主義を治療の根幹に据えています。これは、セラピストが一方的に「答え」を与えるのではない、というCBTの基本姿勢を明確に示しています。
- 中心的な考え方: 私たちの認知、行動、感覚、感情、ライフイベントの相互関係が、心理的ウェルビーイングの発達と維持に重要な役割を果たすと強調しています。この相互作用的な視点こそが、クライエントの問題を包括的に理解する「事例概念化」の土台となります。
- 究極の目標: 思考の柔軟性を高め、感情を調節する能力を向上させ、機能的な行動を増やすことで、苦痛を軽減し、生活の質を改善し、人間の苦悩を軽減することを目指します。これは、単に症状を取り除くだけでなく、クライエントがより豊かで意味のある人生を送れるよう支援するという、CBTの治療的ゴールを示しています。
WCCBTの役割と使命
WCCBTは「エビデンスに基づいた認知行動療法(CBT)の開発と実施を通して、世界の人々の健康とウェルビーイングを促進する」ことを目的とする国際組織です。その包括的な目標の一つに、「教育とトレーニングを通してCBTの効果的な実装を展開し、支援すること」が掲げられています。本ガイドラインの策定は、まさにこの目標を具現化するものであり、世界中のCBT実践者が最低限共有すべき知識とコンピテンシーの指針を提供しています。SMART目標設定のような具体的なスキルがコンピテンシーの一部として明記されているのは、それが効果的なCBT実践に不可欠であるという国際的なコンセンサスを反映しているのです。
CBTの定義とWCCBTの役割を理解した上で、いよいよ本題であるSMART目標設定の具体的な内容を掘り下げていきましょう。
3. SMART目標設定の徹底解説:具体的で測定可能な目標を立てる技術
治療目標に「SMART」という構造が必要なのはなぜでしょうか。それは、このフレームワークが「良くなりたい」というような曖昧な願望を、実行可能で追跡できる具体的な行動計画へと転換させるための強力なツールだからです。SMARTは、目標設定のプロセスに明確さと構造をもたらし、治療の焦点を定め、クライエントと実践者の双方にとって進捗を分かりやすくします。
WCCBTガイドラインでは、効果的な治療目標が持つべき5つの要素、すなわちSMARTの原則が示されています。以下に各要素を詳細に解説します。

3.1. S: Specific(具体的)
ガイドラインで示された「具体的」とは、目標が曖昧でなく、明確に定義されていることを意味します。良い目標は、「誰が」「何を」「いつ」「どこで」「なぜ」といった要素を明らかにします。例えば、「もっと社交的になりたい」という曖昧な目標を、「来月中に、職場の同僚を一人、ランチに誘う」という具体的な目標に変換することで、クライエントは何をすべきかが明確になり、行動への第一歩を踏み出しやすくなります。
3.2. M: Measurable(測定可能)
「測定可能」とは、目標の達成度を客観的に追跡できる指標を持つことです。進捗が可視化されることで、クライエントは自身の努力の成果を実感し、モチベーションを維持しやすくなります。また、実践者にとっても、介入が効果を上げているかを評価し、必要に応じて計画を修正するための重要なデータとなります。「週に3回、30分間の散歩をする」「パニック発作の評価尺度スコアを1ヶ月で5点下げる」といった目標は、進捗を明確に測定することを可能にします。
3.3. A: Achievable(達成可能)
「達成可能」とは、目標がクライエントの現在の能力、リソース、状況に照らして現実的であることを指します。あまりに高すぎる目標は、かえってクライエントに挫折感を与え、自己効力感を損なう危険性があります。CBTでは、小さな成功体験を積み重ねることが重要です。これは、アルバート・バンデューラの自己効力感理論にも通じる原則であり、達成可能な目標による成功体験がクライエントの「自分はできる」という感覚を醸成し、より困難な課題への挑戦を可能にするのです。
3.4. R: Relevant(問題に関連した)
「問題に関連した」とは、設定された目標が、クライエントが治療で取り組みたい主要な問題や、彼らが大切にしている価値観と密접に連携していることを意味します。目標がクライエントにとって個人的に意味のあるものであればあるほど、それに取り組む動機付けは強くなります。この要素は、治療全体の方向性と一貫性を保ち、介入がクライエントの人生の質を向上させるという最終目的に沿っていることを保証します。
3.5. T: Time-bound(期限の定められた)
「期限の定められた」とは、目標達成のための明確な期間や締め切りを設定することです。期限は、目標に切迫感を与え、行動を先延ばしにすることを防ぎます。「いつかやる」ではなく、「来週の金曜日までに」と定めることで、具体的な計画を立てる動機付けとなります。また、治療プロセス全体のペースを管理し、限られた時間の中で効率的に成果を出す上でも役立ちます。
SMART法則とは何か:
SMART法則は、目標を「達成しやすく、振り返りやすく」するためのチェックリストのような考え方です。ビジネスだけでなく、リハビリ、医療、非営利組織など幅広い分野で使われています (Wakabayashi et al., 2021; Tsuboi et al., 2025; Bexelius et al., 2018; Bovend’Eerdt et al., 2009; Bjerke & Renger, 2017; Kazanskaia, 2025; , 2023)。
SMARTの5つの要素
| 英語 | 日本語イメージ | 内容のポイント | 例(体重管理の目標) | Cit. |
|---|---|---|---|---|
| Specific | 具体的 | 誰が・何を・どのようにをはっきり | 「体重を増やす」ではなく「体重を2kg増やす」 | (Wakabayashi et al., 2021; Bexelius et al., 2018; Bovend’Eerdt et al., 2009; Kazanskaia, 2025) |
| Measurable | 測定可能 | 数字や尺度で追える | 体重・回数・スコアなどで測る | (Wakabayashi et al., 2021; Bexelius et al., 2018; Bovend’Eerdt et al., 2009; Kazanskaia, 2025) |
| Achievable | 達成可能 | 努力すれば現実的に届く範囲 | 1ヶ月で+10kgではなく+1〜2kgなど | (Wakabayashi et al., 2021; Bexelius et al., 2018; Bovend’Eerdt et al., 2009; , 2023) |
| Relevant | 妥当/関連性がある | 自分の目的や状況と合っている | QOL改善や健康維持に役立つか | (Wakabayashi et al., 2021; Bexelius et al., 2018; Bovend’Eerdt et al., 2009; Kazanskaia, 2025) |
| Time-bound | 期限がある | 「いつまでに」を決める | 「1ヶ月で2kg」など | (Wakabayashi et al., 2021; Tsuboi et al., 2025; Bexelius et al., 2018; Bovend’Eerdt et al., 2009) |
Figure 1: SMARTそれぞれの意味と具体例の対応
SMART法則のメリット
- 目標があいまいでなくなり、行動に落とし込みやすくなります (Wakabayashi et al., 2021; Bexelius et al., 2018; Bovend’Eerdt et al., 2009; Kazanskaia, 2025)。
- 医療やリハビリの現場では、SMARTな目標を立てた方が、信頼感や満足度が高い傾向が報告されています (Tsuboi et al., 2025; Bexelius et al., 2018; Bovend’Eerdt et al., 2009)。
- 非営利組織や評価の分野でも、成果を測りやすくし、説明責任を果たしやすくする枠組みとして使われています (Bjerke & Renger, 2017; Kazanskaia, 2025)。
注意点・限界
- 「とりあえず全部SMARTにすればよい」というものではなく、状況や文脈に合わせて柔軟に使う必要があると指摘されています (Swann et al., 2022; Bjerke & Renger, 2017)。
- 身体活動などの分野では、SMARTが必ずしも理論やエビデンスに完全に合っていないという批判もあります (Swann et al., 2022)。
4. 臨床実践におけるSMART目標の戦略的位置づけ
SMARTは単なる目標設定のテクニックではなく、CBTの治療プロセス全体における中核的なコンピテンシーとして機能します。その戦略的な位置づけを理解することは、CBTをより深く、効果的に実践する上で不可欠です。
コンピテンシーとしてのSMART
WCCBTガイドラインにおいて、SMART目標設定が、CBTの根幹をなす「アセスメントと事例概念化」というコンピテンシーの一部として位置づけられている事実は極めて重要です。これは、SMARTが独立したスキルではなく、クライエントを評価し、その人独自の課題やメカニズムを理解する(事例概念化)という、治療の根幹をなす臨床プロセスと不可分であることを示しています。つまり、適切な目標を設定する能力は、CBT実践者が示すべき**能力(コンピテンシー)**そのものなのです。
「協働」の原則との関連性
ガイドラインがSMART目標を「協働的に設定する」と明記している点は、CBTの基本姿勢である「協同的実証主義」を色濃く反映しています。セラピストが一方的に目標を決定するのではなく、クライエントと対話を重ね、共に目標を作り上げていくプロセスそのものが治療的な意味を持ちます。この協働作業は、クライエントの治療への主体的な関与(エンゲージメント)を高め、信頼関係に基づく治療同盟を強化する上で決定的な役割を果たします。この協働プロセスは、単に目標を合意する場であるだけでなく、ガイドラインが指摘するクライエントの「変化への準備性」をアセスメントし、高めるための絶好の機会でもあります。SMART目標の設定を通じて、クライエントが変化に対して抱く期待と不安を具体的に探ることができるのです。
測定と評価への貢献
SMART目標、特に「Measurable(測定可能)」の要素は、ガイドラインが重視する「進捗とアウトカムのモニタリング」や「測定に基づくケア」と密接に関連しています。測定可能な目標を設定することで、治療の進捗が客観的なデータとして追跡可能になります。これにより、実践者は介入の効果を科学的に評価し、必要に応じて治療計画を柔軟に修正することができます。SMARTを用いることは、CBTの科学的・実証的アプローチを、日々の臨床現場で具体化するための強力な手段となるのです。
SMARTがCBTの中核的実践において、アセスメント、関係構築、科学的評価という多面的な役割を果たすことを明らかにした上で、最後に本稿全体の結論をまとめます。
5. 結論:エビデンスに基づく実践への道標としてのSMART
本稿では、WCCBTのトレーニングガイドラインに基づき、認知行動療法(CBT)におけるSMART目標設定の重要性を多角的に解説してきました。最後に、その要点を改めて確認します。
- 国際基準における位置づけ: SMART目標設定は、WCCBTが定めるグローバルなCBTトレーニング基準において、実践者が習得すべき必須のコンピテンシーとして明確に位置づけられています。
- 治療プロセスにおける機能: SMARTは、単なる目標設定ツールではなく、アセスメント、協働関係の構築、進捗モニタリングといったCBTの中核プロセスを支える戦略的要素として機能します。
- クライエントへの貢献: 適切に設定されたSMART目標は、クライエントの自己効力感を高め、治療への主体的な参加を促し、測定可能で具体的な成果へと導く羅針盤となります。
SMARTの法則を習得し、日々の臨床で実践することは、個々のCBT実践者のスキルを高めるだけにとどまりません。それは、WCCBTが掲げる「エビデンスに基づいた認知行動療法(CBT)の開発と実施を通して、世界の人々の健康とウェルビーイングを促進する」という大きな使命への、具体的かつ重要な貢献となるのです。SMARTは、科学的知見と臨床実践の架け橋となり、私たちがより質の高いケアを世界中の人々に届けるための、確かな道標と言えるでしょう。



