プレカリティとプレカリティ心理学とは?
プレカリティ心理学とは? わかりやすく解説 ― 「不安定さ」の正体と心のケア
はじめに:漠然とした不安の正体を知っていますか
「なんとなく将来が不安」「頑張っているのに安心できない」「自分だけが取り残されている気がする」。
そんな感覚を、多くの人が「気のせい」「自分の性格の問題」として抱え込んでいます。しかし実は、この感覚には名前があります。それが「プレカリティ(precarity)」です。
この記事では、2024年にアメリカ心理学会の学術誌「American Psychologist」に掲載された論文「The Psychology of Precarity: A Critical Framework」(Blustein et al.)を参考に、「プレカリティ心理学とは何か」を、専門用語をできるだけかみ砕きながらわかりやすく解説します。
プレカリティとは?
プレカリティ(Precarity)とは、
生活や仕事、将来などに対して、安定や見通しが得られず、不確実性や不安定さが続く状態を意味します。
語源は precarious(不安定な・危うい) に由来し、もともとは雇用や労働研究で使われてきましたが、現在では経済、社会、健康、災害、AI、気候変動など、さまざまな分野で用いられる概念へと広がっています。
Blusteinら(2024)は、プレカリティを「個人の問題」ではなく、社会構造や環境との相互作用によって生じる状態として位置づけています。
わかりやすく言えば
プレカリティとは、
「明日がどうなるかわからない状態」
です。
例えば、
- 「仕事がなくなるかもしれない」
- 「災害で生活が変わるかもしれない」
- 「AIに仕事を奪われるかもしれない」
- 「収入が安定しない」
- 「将来の見通しが立たない」
- 「支えてくれる人が少ない」
このような状況が続くことで、人は不安やストレスを感じやすくなります。
プレカリティは「弱さ」ではない

プレカリティ心理学では、
不安は、その人が弱いからではなく、不安定な環境への自然な反応である
と考えます。
つまり、問題は「人」だけではなく、「人を取り巻く環境」にもある
という視点を大切にします。
プレカリティを構成する主な要素
- 経済的プレカリティ
- 収入の不安定
- 非正規雇用
- 物価上昇
- 社会的プレカリティ
- 孤立
- 人間関係の希薄化
- 地域コミュニティの弱体化
- 心理的プレカリティ
- 将来への不安
- ストレス
- 自己効力感の低下
- 環境的プレカリティ
- 災害
- 気候変動
- パンデミック
- 技術的プレカリティ
- AI・DXによる仕事の変化
- 技術革新への適応
プレカリティ心理学の定義
これまでの議論を踏まえると、次のように定義できます。
プレカリティ心理学とは、不確実性や不安定さ(プレカリティ)が人の心理・行動・健康・社会参加に与える影響を理解するとともに、個人の強みだけでなく、社会資源や環境との相互作用を活かしながら、適応・成長・社会変革を支援する心理学である。
一言で表現すると
講演や一般向けには、次のような表現が伝わりやすいでしょう。
プレカリティとは、「先が見えない時代を生きる誰もが直面する、不安定さや不確実性」です。
あるいは、
プレカリティとは、「未来の見通しが立ちにくい社会の中で生じる、不安定さの体験」です。
このように定義すると、「特定の弱い立場の人だけの問題」ではなく、AI時代、災害、経済変動、少子高齢化などを背景に、現代社会を生きる多くの人に共通する課題としてプレカリティ心理学を位置づけやすくなります。
プレカリティ心理学とは?一言でいうと
プレカリティ心理学とは、人の不安や生きづらさを、個人の内面だけでなく、社会・経済・政治的な構造との関係の中で理解しようとする心理学の新しい視点です。
「プレカリティ(precarity)」という言葉自体は、もともと哲学や社会学、人類学の分野で使われてきました。日本語では「不安定性」「脆弱性」と訳されることが多く、次のような特徴を持つ状態を指します。
- 雇用、住居、医療などの生活基盤が不安定であること
- その不安定さが、個人の努力ではどうにもならない社会構造(格差、差別、政策など)から生じていること
- 結果として、慢性的な不安、無力感、実存的な恐れが生まれること
つまり、プレカリティは単なる「気分の落ち込み」や「性格の弱さ」ではなく、社会と心の間に生まれる現象として位置づけられているのです。
なぜ「プレカリティ」という言葉が必要なのか
不安や不確実性を表す言葉は、これまでにも「アノミー」「ストレス」「不安障害」などたくさんありました。ではなぜ、あえて「プレカリティ」という新しい概念が必要なのでしょうか。
論文によれば、既存の概念の多くは、社会的なつながりの喪失(アノミー)や、個人の心理状態(不安障害)に焦点を当てており、「人種や階級に基づく構造的な力関係」まで踏み込んで説明できていないとされています。
たとえば、同じ「経済的な不安」であっても、その背景には次のような差が存在します。
- 非正規雇用に就きやすい社会的立場にあるかどうか
- 医療や住居への公的支援を受けられる制度があるかどうか
- 人種・性別・障害の有無によって、就労や昇進の機会に差があるかどうか
プレカリティという概念は、こうした「見えにくい構造の差」までを含めて説明しようとする点で、既存の概念より一歩踏み込んだ視点を提供します。
プレカリティが広がる社会的背景
なぜ近年、プレカリティという概念が心理学の中で急速に注目されるようになったのでしょうか。論文では、いくつかの社会的な要因が挙げられています。
- 新自由主義(ネオリベラリズム)の広がり:規制緩和や自己責任論が強まり、雇用・医療・教育といった生活のあらゆる場面で、公的な支援やセーフティネットが縮小してきました。
- 新型コロナウイルスの流行:多くの人が一気に仕事や収入、健康の安全を失い、これまで見えにくかった社会的な脆弱さが可視化されました。
- 経済格差の拡大:世代を超えて受け継がれる資産格差や、人種・民族間の経済格差が拡大し続けています。
- 不安定雇用(ギグワークなど)の一般化:「いつ収入が途絶えるかわからない」という慢性的な不安が、多くの働き手にとって当たり前のものになりつつあります。
これらの社会的変化が積み重なった結果、「個人の頑張り」だけでは説明しきれない生きづらさが、社会全体に広がっていると考えられています。プレカリティ心理学は、こうした時代の空気を言語化するための枠組みとして生まれてきたのです。
プレカリティ心理学の3つの構成要素
論文が提示する枠組みでは、プレカリティは次の3つの要素が絡み合いながら生まれるとされています。図でいうと、3枚の羽根がねじれ合うような、非直線的なイメージです。
1. 社会・政治・経済的文脈
雇用政策、社会保障制度、医療アクセス、人種・性別に基づく構造的な差別など、私たちを取り巻く大きな社会条件です。工場や病院の閉鎖といった身近な出来事から、国の医療制度や労働政策まで幅広く含まれます。
2. 物質的条件
食料、住居、医療、収入といった、生きるうえで欠かせない資源へのアクセスの不安定さです。世代を超えて受け継がれる資産格差もここに含まれ、安定した「まともな仕事(decent work)」を得られるかどうかが大きく影響します。
3. 心理的経験
慢性的な不確実性、実存的な不安、無力感などの心理的な状態です。研究では、こうした慢性的なストレスが体に蓄積する「アロスタティック負荷」につながり、うつや不安障害、さらには心血管系の疾患リスクを高める可能性も指摘されています。
興味深いことに、ある研究では、慢性的に不安定な仕事に置かれた若者たちの心理状態を「継続する現在(continuous present)」という言葉で表しています。将来を思い描くという「ぜいたく」を持てず、目の前の生活を維持することだけに、心のエネルギーを使い切ってしまう状態です。これは意欲や努力の問題ではなく、プレカリティという構造が生み出す、当然の心理的帰結だと理解する必要があります。
これら3つの要素は、単独で存在するのではなく、常に影響し合いながら人の生活の中に立ち現れます。だからこそ、プレカリティは「一つの原因」に還元できない、複雑でダイナミックな現象として理解される必要があるのです。
人はプレカリティにどう向き合うのか:抵抗・適応・諦め
プレカリティ心理学のもう一つの重要な視点は、「人は不安定さにどう反応するのか」という点です。論文では、これを次の3つの反応として説明しています。いずれも優劣はなく、状況によって行き来したり、同時に現れたりするものです。
- 抵抗(Resistance):構造的な原因に気づき、声を上げる、連帯する、制度を変えようとするなど、能動的に立ち向かう反応。
- 適応(Adaptation):今ある条件の中で、生活を維持するための工夫をすること。副業をする、家族や地域に頼るなど。
- 諦め(Resignation):希望や主体性が失われ、無力感に包まれてしまう状態。
たとえば、収入が不安定な仕事しか選べない状況で、それでも生活のためにその仕事を続けることは「適応」の一形態です。これは決して「怠けている」わけでも「意識が低い」わけでもなく、限られた条件の中での切実な生存戦略だと理解することが大切です。
身近な例で考えるプレカリティ
たとえば、次のようなケースを想像してみてください。
契約が更新されるかどうか分からない非正規雇用で働くAさんは、毎年更新の時期が近づくたびに強い不安を感じています。安定した収入が見込めないため、賃貸契約や将来設計を立てることもためらってしまいます。
このとき、Aさんの不安を「メンタルが弱いから」「もっと自信を持てば大丈夫」と個人の問題として片づけてしまうと、本当の原因である雇用制度の不安定さは見過ごされてしまいます。プレカリティ心理学の視点に立てば、Aさんの不安は「雇用制度という社会構造」と「心理的な反応」が組み合わさって生まれていると理解でき、問題の焦点を個人だけでなく制度や環境にも向けることができます。
プレカリティ心理学が心のケアにもたらす視点
この考え方は、日常生活やカウンセリングの現場にも重要な示唆を与えます。
一つは、「自分を責めすぎない」ための視点です。失業や収入の不安定さを感じたとき、多くの人は「自分の能力が足りないからだ」と考えてしまいます。しかしプレカリティの視点に立てば、その苦しみの一部は、あなた自身ではなく、社会の構造そのものから生まれている可能性があると気づくことができます。
もう一つは、「一人で抱え込まなくていい」という視点です。プレカリティは、個人だけの問題ではなく、多くの人が同時に経験している社会的な現象です。同じような不安を抱える人とのつながりや、専門家によるサポートを通じて、構造的な背景に目を向けることが、回復や前向きな行動への一歩になります。
まとめ:「わからない不安」に名前をつけることの意味
プレカリティ心理学は、私たちが漠然と感じている不安や生きづらさに、「社会構造との関係」という新しい説明を与えてくれる視点です。
もちろん、この枠組みだけですべての苦しみが説明できるわけではありません。人種差別や性差別、貧困など、それぞれの問題には固有の歴史と背景があります。それでも、プレカリティという言葉は、バラバラに感じられていた個人の悩みを、より大きな社会的文脈の中で捉え直すための、有効な手がかりになります。
もし今、あなたが理由のわからない不安や慢性的なストレスを感じているなら、それは決してあなた一人の弱さではありません。専門家に相談することも、その不安の正体を理解する一つの方法です。
よくある質問(FAQ)
Q. プレカリティ心理学とは、簡単に言うとどんな学問ですか?
- 人の不安や生きづらさを、個人の性格の問題としてではなく、社会・経済・政治的な構造との関係の中で理解しようとする心理学の視点です。雇用や住居の不安定さ、格差や差別といった社会的要因が、心理的な不安や無力感につながっていると捉えます。
Q. プレカリティと「不安障害」はどう違いますか?
- 不安障害は個人の心理状態を診断するための医学的な概念であるのに対し、プレカリティはその背景にある社会構造(雇用制度、格差、差別など)にまで視野を広げた概念です。両者は対立するものではなく、補い合う関係にあります。
Q. プレカリティを感じたとき、どうすればいいですか?
- まずは「自分の弱さのせいだ」と自分を責めすぎないことが大切です。そのうえで、信頼できる人や専門家に相談し、自分が置かれている状況を社会的な文脈の中で捉え直してみることが、心の負担を軽くする一歩になります。
参考文献
Blustein, D. L., Grzanka, P. R., Gordon, M., Smith, C. M., & Allan, B. A. (Accepted). The Psychology of Precarity: A Critical Framework. American Psychologist.
投稿者プロフィール

- 監修者:一般社団法人ポジティブ心理カウンセラー協会 代表理事
- 徳吉陽河(とくよしようが)は、ポジティブ心理学、ポジティブ心理カウンセラー協会の創設者の一人であり、日本・世界のおけるコーチング心理学のパイオニア。ポジティブ心理療法士、コーチング心理士、公認心理師・キャリアコンサルタント、認定心理士(心理調査)、として教育・医療・福祉・産業分野で活動する専門家。東北大学大学院博士後期課程で研究し、国際コーチング心理学会、国際ポジティブ心理学会など、世界で学び、研究を発表。著書に『ポジティブ大全』『科学的に正しい脳を活かす「問いのコツ」 結果を出す人はどんな質問をしているのか?』『コーチング心理学ガイドブック』『コーチング心理学ハンドブック』などの翻訳書などがあり、科学的なエビデンスと物語(ナラティブ)に基づくコーチングとウェルビーイング教育を推進している。累計4000名のコーチ、カウンセリング実績」(ワークショップを含む)、「累計6000回以上のセミナー実績」以上の実績がある。国土交通省 航空保安大学講師、元東北文化学園大学講師、元仙台医療センター看護学校講師、元若者サポートセンター講師、教育機関、海外・国外の法人企業などで講師を担当実績がある。座右の銘は、「我以外皆我師」、失敗・挫折もたくさんしており、「万事塞翁が馬」大切にしている。「自己肯定感が低いからこそ成長できる」ことを大切にしている。








